海外の不動産取引に関する案件+津軽海峡霧景色(はまなす撮影記)②

1 海外の不動産取引に関する案件
 海外における不動産の値上がりなどを謳い,投資目的で当該不動産を購入するように勧誘し,購入代金を送金させたが,その後,当該不動産を入手できたのかすら判然とせず,金銭も返還されないという被害事案を散見します。
 ここでは自分が担当した案件の中で,判決にまで至った案件(案件A),現在進行中の案件(案件B)の2つについての,事件処理について話しをしたいと思います。

 まず,案件A,これはカンボジア国内の不動産を販売するという内容の案件でした。
 争点は,被告である業者(以下,「Y1」)が,原告(以下,「X1」)に販売したと称する建物(対象不動産A)は,本当に販売対象となり得たのかという点でした。
Y1からは,Y1とその前主との間の売買契約書,Y1とX1の売買契約書が証拠として提出され,X1に所有権が移転しているとの主張がなされました。
 当方の見立ては,当然,対象不動産Aは,X1が所有権を所得できる前提を欠いたものを購入させられたというものです。
  
 そこで,紛争となった当時のカンボジア国内の物権に関する法制度を色々調査していくと,以下の様なことが判明しました。

 ①カンボジア国内においては,外国人に認められる不動産に関する権利については,建物の2階以上について特別区分所有権が一定の制限の中で認められるに過ぎない
 ②カンボジア国内には登記制度が存在する
 ③②の区分所有権は,登記が効力発生要件である

 そこで,当方は,Y1に対して,X1が対象不動産Aの所有権を所得する(した)といえるには,Y1とその前主間の売買契約書とY1とX1間の売買契約書のみでは足りず,対象不動産Aにつき,Y1への移転登記,X1への移転登記が必要であり,それを明らかにすることを繰り返し求めました。
しかしながら,最後までY1から対象不動産Aの登記の内容が明らかにされることはありませんでした。

 これらを踏まえ,判決(東京地判平成27年2月24日)は,???について言及した上で,Y1からは,登記に関する証拠は一切提出されず,X1どころかY1すら対象不動産Aの所有権を所得したかは不明であること及び当時のY1の従業員の説明状況等を踏まえ,Y1の販売行為を違法としました。
 シンプルながら,なかなかすっきりとした,実態に合った判決となりました。

 次に,案件B,これは中国国内の不動産を販売するという内容の案件です。
 やはり争点は,被告である業者(以下,「Y2」)が,原告(以下,「X2」)に販売したと称する建物(対象不動産B)が,本当に販売対象となり得たのかという点です。

 そこで,今回もまた,紛争となった当時の中国国内の物権に関する法制度を色々調査していくと,以下の様なことが判明しました。

 ?外国法人による中国国内における不動産取得は,投資目的での取得はすることができない
 ?外国法人による中国国内における不動産取得には外商投資企業の設立が不可欠で,その際には,一定の書類の交付を受けることが不可欠である
 ?建物の所有権を取得するには取得者は,土地使用権を取得する必要がある
 ?土地使用権は,登記が効力発生要件である

 案件Aと類似の制度でした。
 当方が,Y2に対して,仮に原告X2が対象不動産Aの所有権を所得していたといえるには,外商投資企業の設立を称する証拠及び関係書類の提出,Y2への移転登記,X2への移転登記を明らかにすることを求めていることはいうまでもありません。

 そして,本件でも,現段階で,Y2から上記事項が明らかにされてはいません。

 海外の不動産に関する案件は,国内不動産に関する案件と異なり,民法の規律を受けない面もあることから,実体を伴わない取引であるという立証に迷うかもしれませんが,各国の物権の制度を調査すれば,活路は十分見いだせる可能性はあります。

2 津軽海峡霧景色(はまなす撮影記)②
 (前回の続き)

 某年6月某日。
 必勝の天気予報を受け,いざ往け,総行程1400kmの津軽海峡遠征出発。
 深夜の深夜の東北自動車道を唯々ひたすらに北上です。
 
 →蓮田通過(まだまだ元気)
 →郡山通過(満天の星空きれいですね?)
 →福島通過(意識が飛び始める…)→仙台付近(運転停車で元気復活)
 →仙台付近(俺何やっているんだろうという自問自答の時間が流れる)
 →盛岡付近(引き返したくなるが,引き返す方が遠いことに気が付く)
 →十和田付近(BGMも津軽海峡冬景色など悲壮感漂うものに…)
 →青森IC(全身に感じたことのないしびれを感じながら現地到着)。

 見上げれば満天の星空,霧も出ていない!!!,これはいける!!!
 撮影地を探し,三脚を設置,まずは上野発の夜行列車「北斗星」を迎え撃つ。

 朝3時30過ぎ,あたりが明るくなり始め,さあ,臨戦態勢。
 朝4時10分過ぎ,神々しいまでのご来光,水平線の向こうから太陽が昇りはじめ,海を真っ赤に染める幻想的な光景に。
 何人かいたカメラマン(多分素人じゃないです)は,その風景にカメラを向け感嘆の声を上げているが,自分だけカメラの向きは線路の向こう。
 津軽海峡の夏の天気は気まぐれ,天気は列車通過時までもつのか,もう一度チャンスがあるかもわからない…。
 もう,ハラハラ,ドキドキ。

 そして,4時30分過ぎ,とうとう線路の彼方に2灯の光が見えた,北斗星だ!
 手前までよーく引き付けて…,いけ(シャッターーぽち),よっしゃーーー,迎撃成功。

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北斗星 瀬辺地-蟹田

 朝日をいっぱいに浴びて,オレンジ色に輝く北斗星,赤富士ならぬ「赤北斗星」。

 次に,はまなす大学の受験地に選んだのは,中小国にあるとある踏切,構図は縦。
 ここで合格できれば,東京に戻っての起案は確実にはかどる,そんなことを考え列車を待つこと数分。

 しか~し,突然沸き立ってきたゲリラ雲が太陽を覆い,辺りが暗くなる…。
 「うォ~,勘弁してくれ?,そんな…,頼む,雲よ早く抜けてくれー!」

 そんな祈りもむなしく,「カン,カン,カン…」,いよいよ勝負の踏切が鳴った。
 はまなす大学は,徐々に迫って来る,まだ雲は抜けない…,そして,カメラのファインダーの中でも徐々に徐々に大きくなってくる。
 「嗚呼,700km!!!」,東京から走ってきた苦行の映像が今,走馬燈のように頭を巡る…,ゲリラ雲1つが命取りになるのか…(俺の700kmがぁぁ…)。

 そして,いよいよシャターポイント,とその時…,なんと,辺りがさあ~と明るく。

 「雲が抜けた!よっしゃーーー!!」,「さあ来い今だ,はまなす大学!(もう早く来てちょうだい)」,そして,運命の結果は…。

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はまなす 蟹田-中小国

 興味のない人から見ると何の変哲もない写真,でも分かる人には分かる涙無しには語れない写真!
 時は,早朝5時,まだみんな寝ているころに,本州の果ての果てで,一人ハラハラドキドキ,そんなこんなで,とうとうはまなす大学の合格証書を手にした瞬間でした。

 この後700kmひたすら東京まで走り抜け,事務所で起案がはかどったのはいうまでもありません。
 (ただし,疲れが襲ってきた翌日の午後は使い物になりませんでした…。)

 おしまい。

3 Memorial Gallery

 縦アングル,迫力の寝台特急シリーズでおまけを。

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北斗星 釜谷-渡島当別

 こちらはこれまでとは変わり,青函トンネルを抜けた北海道側。
 でも,新幹線開業でここもさみしくなるなぁ…。

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北斗星 稀府-北舟岡

 夕闇迫る海辺を疾走する列車…。
 青い海,空はグラデーションに染まり,背後には北海道らしい風に揺れるエルムの木?。
 「決まった!」,そんな感じの1枚でした。

 
 続いては,鉄道以外シリーズ。

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 ここはトラピスチヌ修道院。
 日本初の女子観想修道院として明治31年に創立されたそうで,函館山と中心市街地を挟んで対面する高台にあります。

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 資料館にあった説明によれば,修道女らは祈り,労働,聖なる読書を日課のに共同生活を送っており,祈りは3時半(!)の起床から,19時45分の就寝(!!)までに7回行われるそうです。

 由緒正しき場所なのですね。

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