美術館巡り <横山大観展・横浜美術館>

週末、横浜美術館で開催されている、横山大観展へ行ってきました。

この展覧会の後期のメインになっている「夜桜」は、高校生の時、美術の資料集の表紙になっていたもので、毎日のようにこの絵を眺めていたので、なんだか思い入れがありまして、
「夜桜」の展示は、11月1日から。横浜の裁判所へ行った帰り、電車の中で広告を見て、行かねば・・・と思っていたのでした。

この展覧会のサブタイトルは、「良き師、良き友」
良き師は、岡倉天心、良き友は、冨田渓仙、今村紫紅らのこと。

入ってすぐの展示室には、横山大観の美術学校時代の課題なども展示されていました。
人の手によるとは思えないような、筆跡のほとんど見えない「富士」なんかも素晴らしいとは
思うのですが、こういう、まだ垢抜けなさの残る若いころの作品を見ると、
作家を身近に感じることができてワクワクします。
到底かなうことなどできませんけれども、思わず自分も手を動かしたくなってきます。

今回の展示は、作家の(仕事面での)人間性を知るのにとても素晴らしい展示だったと思います。
「朦朧体」(ぼんやりした絵)という屈辱的な名前を古典的な日本画界から付けられても倦むことなく、
互いに影響を与えあいながら作品を作っていく大観や仲間たちの当時の息遣いを感じながら、ひるがえって自分の仕事や仕事仲間のことなどを考えたりしていました。
岡倉天心と5歳しか違わないのに、生涯の師と仰ぎ続け、自分より10歳以上も若い作家である渓仙らの描き出すものを、何の先入観もなく真正面から受け止め、ただただ至高の芸術へ精進する同志とみなすという姿勢は、本当に素晴らしい。「夜桜」も、渓仙の作品がかなり大きな影響を及ぼしているようでしたし。
年齢とかキャリアがどうこうというのではなくて、自分の感性をしっかり信じていたということなのでしょうね。と、自分の良いように解釈。

さて、最後の展示室に、いよいよ「夜桜」です。(五反先生風でいうと「キ、キター!!!」)
大観の感性もさることながら、執念のようなものすら感じる、すばらしい屏風でした。
海外向けに作ったということもあり、カラフルな色使い、満開の桜というキャッチーなモチーフが人の目を引くというところももちろんあるのですが、音を立てて落ちてきそうな炎の付いた炭の欠片や黒ずんだ山肌といった写実的なものと、のっぺりした夜空や丸い山、モチーフ化された桜とのコントラスト・・・
期間中、ここに椅子を置いてずっと見ていられる学芸員さんが羨ましすぎます。思わず「いいですね」と話しかけそうになってしまいました。

閉館1時間前に滑り込んだので、「夜桜」を近寄ったり、遠ざかったりしてじろじろ眺めていると、あっという間に閉館のアナウンスが流れてきてしまいました。

「夜桜」は普段どこに収蔵されているのかしら・・と見てみたところ、大倉集古館蔵とのこと。大倉集古館とはどこぞや・・と思いましたが、ホテルオークラの敷地内にあるのですね。
これまで近現代美術館にはわりと足を運んでいたのですが、山種美術館(広尾)といい、日本画系の美術館に関してはまだまだ不勉強です。
大倉集古館、何かの機会に今度行ってみようと思いました。

横山大観展(良き師、良き友)、11月24日まで、横浜美術館にて
日本画にあまり興味のない方でも、面白いのでは。
すっかりクリスマスムードなみなとみらいの街の雰囲気も入れて、おすすめ度、★4.5です。