弁護士の選び方

■弁護士を選ぶことは,素人には適切にはできない
 弁護士の選び方,と題しておいていきなりそれは無理,という始まりで拍子抜けかも知れませんが,しかし,まずはこのことを頭に入れておくべきでしょう。弁護士は,職人的な仕事であり,専門性が高く,その業務の内容や評価も普通の人には適切になしうるものではありません。お医者さんの本当の「技術」などが,外部からはなかなか知る術がないのと共通するところがあります。しかし,弁護士に相談し,委任するということは,お医者さんの例でいうと,大手術を行うというほどの,人生の一大事でしょうから,できる限り適切に弁護士を選びたいと考えるのは当たり前のことです。たとえ紛争の解決が思うように達し得なかったとしても,できる限りのことをやったという気持ちが持てなければ,後悔を抱え続けるという状況にもなりかねません。
 現状では,弁護士が直接対応してくれるかとか,契約書を作ってくれるかとか,費用の説明をしてくれるかとか,一部の悪質な弁護士を排除するための情報や考えなどは一応提供されているように思いますが,より突っ込んだ話はなかなかされていないように感じます。また,このような類いの情報を発信するときには,弁護士もどうしても自身を高く評価させるような記載をしてしまうことも否めないでしょう(これは当記事にも妥当してしまうかもしれませんが・・・)。そこで,初めて弁護士の助力を必要とすることになった方が,必死に弁護士選びをするときに,こういう観点から弁護士を選べば良いのではないかというところを,少しでもご参考になることがあればと思い,紹介することにします。

■弁護士の能力は,何によって推し量れるか
1 弁護士の「能力」,「専門性」と年齢・司法試験の成績・経歴
 弁護士を選ぶに際して、能力の高い弁護士に依頼したいと思うのは当然のことだと思います(もっとも,「能力」というのも多義的でしょうけれども)。しかし,これは外部からはなかなか分かるものではありません。年齢などによって能力が高くなっていくわけでも必ずしもないし,司法試験の成績が良かったからといって(そもそも外部からこれを知ることは通常できませんが)必ずしも実務家としての能力が高いわけでもないでしょう。
 経歴や実績は,適正な情報を入手することも必ずしも容易ではありませんが,できる限り詳細に見てみるのが良いと思います。幸い,現在では多くの弁護士がホームページを開設しており,それを精査することによって,また,弁護士名で検索してみることなどによって,一応の情報を得ることができる状況になっており,そこに手掛かりを見いだすことができる部分もあります(完全ではありませんが,一応の参考にはなるでしょう。)。
 弁護士会の役職に就いていたり,公職に就いていたりというのは,弁護士の能力とはあまり関係ないように思います。自己紹介の一つ程度に見ておくべきものと思います。
 また,法的問題に直面したとき,その分野について「専門性」を備えた弁護士に相談・依頼したいと考えることは十分に理解できます。当該紛争類型の問題点を直ちに把握し,勘所を押さえた適切かつ迅速な対応が可能となるだろうと期待できます。ただ,これを外部から判断することはやはり限界があることは否めません。
 最も良いのは,弁護士に聞くことです。この分野に強い先生は誰ですか,と。様々な法分野についてやはり「その分野であればあの弁護士」というのは弁護士の中では厳然として存在し,共有されているものです。ただ,弁護士によってはそうしたことを相談者に伝えたくないという人もいるでしょう。それはある面で仕方のないことでもありますね。
2 弁護士の「能力」,「専門性」と論考,書籍の執筆
 書籍を執筆していたり,論文を書いていたりというのは,一定の実績があるからこそそのような執筆を依頼されるのでしょうから,判断材料の一つになるでしょう。しかし,一般人向けの書籍などは,誰にでも書けるものが多く,専門性の評価に繋げるべきではないように思います。弁護士など専門家に向けた書籍等を執筆している場合には,それが一般的なものではなく実務的なものであればあるほど,また,その数が多いほど,弁護士の中でもその分野に詳しいということが推測されます。
 ただし,専門家に向けた書籍や論文を書いているということから,当該分野についての知見・見識が高いということはいえるでしょうけれども,このことは,必ずしも当該分野の「紛争を解決する能力」が高いということまでもをも担保してくれるものではないという難しさがあります。論考や書籍の執筆よりも,事案に即した充実した準備書面(裁判所に提出する書面)を起案する能力の方が大切ですからね。
3 弁護士の「能力」,「専門性」と講義・講演
 講義・講演は,その対象や頻度及び内容を併せてみれば,その分野に詳しいということが様々な第三者から評価されている程度が分かりますから,参考材料の一つになるでしょう。特定の法律事務所や企業ではなく,弁護士会が主催する弁護士を対象にした講義・講演には,多くの弁護士が講義を聴きたいと思う弁護士が登壇することは当たり前のことでしょう。しかし,これも,当該分野についての知見・見識が高いということはいえるでしょうけれども,このことは,必ずしも当該分野の「紛争を解決する能力」が高いということまでもをも担保してくれるものではないという難しさはやはりあります。ただ,論考の執筆などよりは,実践的な「実績」を推測させる程度は高くなるように思います。
4 弁護士の「能力」,「専門性」とマスメディアへの露出
 マスメディアへの露出は,その態様を併せて見ることが不可欠でしょう。コメンテーターのように何についてでも話をする弁護士や娯楽番組でふざけてみせる弁護士,危うげな方法で相手方と対峙する場面を面白おかしく見せるテレビ番組などへの露出は,「そういう弁護士」としては面白いでしょうが,「能力」や「専門性」とは全く無縁である場合がほとんどです。
 マスメディアへの露出は,ニュース番組などで,その専門性故にコメントを求められているという場合には,その頻度が多ければ多いほど,報道機関に当該分野においてコメントを求めるにふさわしい弁護士であると周知されているということでしょうから,「専門性」の判断材料の一つになるでしょう。
5 弁護士の「能力」,「専門性」と取り扱った事件の結果,担当事件の裁判例
 過去にその弁護士が取り扱った事件の判決その他の裁判例などは,その数や内容にもよりますが,判断材料の一つになると思います。
 裁判例は,その弁護士が具体的な事案の解決を進める中で,実際に裁判官を説得してきた結果ですから,実践的能力をより強く推測させるものであることは間違いありません。ただ,弁護士であれば判決を得るなどということは日常業務ですから,その内容や弁護士や裁判実務の中での取り扱われ方を併せてみる必要があります。単純な事件では,その結果がどうであれ,能力を推し量ることは全くできません。結果的に負けていても,その「負け方」も重要です。弁護士にとって,判例雑誌に搭載される裁判例を担当したということはちょっとした自慢でもあります(時にはその結論がどうであれ)。もっとも,専門的な判例雑誌への登載は,一般の報道とは異なる関心・観点からされるものですし,判例検索システムへのアクセスは(一部図書館などで可能ですが)一般の方には困難であるのが実情です。
 ところで,紛争予防はもちろん,紛争解決においても,最終的に裁判官の判断を得ることなく,訴訟前,あるいは訴訟手続の途中で和解等により解決に至ることの方が相当に多いものです。そして,そのような紛争解決こそが依頼者にとって望ましいことの方が多いものでもあるでしょう。しかし,このような情報は外部から適切に知ることはほぼ不可能です。担当裁判例から推知していくほかありません。
 なお,解決事例とか相談者の声などをホームページなどに掲載している法律事務所もありますが,それが全ての事件についてのものでない以上,あまり参考材料にはならないでしょう。うまくいく事件もあればうまくいかない事件もあることはあまりにも当たり前のことです。
 夥しい事件数を掲げて「実績」と証している弁護士や法律事務所は,避けるのが賢明であるように思います。弁護士の仕事は職人仕事であり,事案に応じてオーダーメイドで対応していかなければなりません。尋常でない件数の「相談件数」などを掲げているのは,機械的処理によって弁護士としての本来的な取り組みの姿勢を持っていないからなのではないかと,私は(そして多くの弁護士は)感じています。
6 弁護士の「能力」,「専門性」と弁護士紹介サイトなど
 弁護士紹介サイトなどで「専門」や「取り扱い分野」に挙げていたりしても,それはほとんど当てになりません。弁護士の目から見ると,どの分野についても,名前を聞いたこともない弁護士が何故かずらずら並んでいると感じられるというのが実情です。この弁護士はこういう事件について関心を持っているのだろう,ということが分かる程度です。
7 弁護士の「専門性」と「意欲」
 さて,「専門性」は,重視したい気持ちは分かりますが,これのみに拘泥しすぎるのは必ずしも正しくありません。弁護士は,その程度の差はあれ,みな,「法律・法的手続の専門家」なのですから,特定の分野について強いことがその弁護士の能力等を決めるものではありませんし,良い解決を導いてくれるのは,経験や能力以外の要素であることも多くあります。私も,今は先物取引被害をはじめとした金融商品取引の問題や債権回収については一定の知識・経験を持っていると思っていますが,弁護士になって1か月目に担当して右も左も分からない状態から取り組んだ先物取引被害事案は,今から考えても,良い解決になったと思っています。若者の持つ「熱意」は,ときに「専門性」を凌駕することもしばしばあるでしょう。
 そして,あえて言うと,通常の交通事故などの民事事件,刑事事件,離婚や遺産分割などの家事関連事件,労働紛争,借金問題などは,いうなれば,「弁護士であれば誰でもでき,意欲的に取り組んでもらうことの方が大切」だと思います。

■弁護士の「弁護士としての姿勢」,「意欲的に取り組んでくれるか」は,どうすればわかるか
1 紹介者の有無,弁護士会等の法律相談等
 上記のような情報から,当該紛争類型について「意欲的に取り組んできたかどうか」ということも推知できます。持続的な活動の上にこそ,外部に見える「成果」としての実績が積み上がっていくものであることは当たり前のことです。
 では,それ以外の弁護士選びの要素にはどのようなものがあるでしょうか。
 まず,弁護士と一定の関係を有している人の紹介があれば,紹介者がない場合に比べて意欲的に取り組んでくれるのではないかという考えは,理解できないではありません。また,これと多少似たようなものとして,弁護士会や自治体の法律相談であれば,なんとなく安心感がありそうですね。
 しかし,紹介者の有無や法律相談の経路から事件処理に対する姿勢が変わるようであれば,私はそのような弁護士は信用できないと感じます。もちろん,事案の類型によっては,紹介者以外の依頼を受けないということに合理性がある場合もあります。弁護士の仕事は,いろいろな人が接触を図ってくる性質のものであり,そこには様々なリスクが潜んでいることもありますから,見知らぬ人には警戒感を抱いても不思議はありません。ただ,紹介がなくて相談・委任を受けるという場合には,紹介の有無によって事件に当たる姿勢を変えることなどあってはならないことだと思います。
 弁護士会の法律相談等については,私自身も相談担当をしていますし,専門相談の担当希望者向けの講義などもしており,あまり否定的なことはいいたくはありません。最低限度の知識を有しているという限度では肯定的に評価することもできるでしょう。しかし,能力,専門性,熱意のいずれをとっても,弁護士会等の法律相談が最善であるとは現状では私には言えません。多忙な弁護士ほど相談件数と関係なく一定時間を拘束される相談担当を敬遠しがちになる傾向がないでもありません。
2 法律事務所の規模・法律事務所の広告
 法律事務所の規模は,「弁護士としての姿勢」には関係がないように思います。一人で事務所を開いておられる先生の中にも,弁護士として尊敬できる先生は,たくさん,たくさんおられます。むしろ,一般の方を対象にする法律事務所であるのに規模を拡大させ,大々的に広告・宣伝を行っている法律事務所は,弁護士の業界では否定的ニュアンスで見られているところ,それにはそれ相応の理由があるように思います。それは,やはり,弁護士としての熟した活動が(上記のような観点から)見られないのに,一般の方の無知や情報収集能力の不足に乗じて,広告・宣伝によってのみ依頼者を集める「ビジネスモデル」を採っているように感じられているからです。適切な弁護士へのアクセスを可能とさせるべきことはもちろん,弁護士を取り巻く昨今の状況からすれば,自らの活動を対外的にアピールすることはある程度必要であると思いますが,それと,大々的に広告・宣伝をするというのは異質の事柄です。
3 「敷居の高い弁護士」
 「敷居が高い弁護士」や「プライドが高そうな弁護士」は程度の問題はありますが,別に悪いものではありません。質問に適切な応答がないなどということになれば論外ですが,多忙なはずの弁護士が何の敷居の高さも感じさせないと,それはそれで,大丈夫かな,と私は感じると思います。「弁護士はサービス業だということを分かっていない弁護士はだめだ」という話には私はついて行けません。裁判所も法的サービスの提供者ですが,「被告のお客様,ご着席下さいませ」などとは言いません。弁護士の仕事は全人格を賭けてする職人仕事ですから,「短期的に迎合的な姿勢を採る」という意味であれば,サービス業ではありません。法的サービスを提供する業務であることは間違いありませんが,依頼者のための最善とは何か,最善に近づくためには何をするべきかを,専門的な立場から,多角的に考え,普通の人には分からないような部分(手続の過程においては,一般の人には分からないけれども,依頼者に有利になるような手当をするべき事柄は,実に,実にたくさんあります。)にも様々な配意を欠かさない,というのが,弁護士の仕事です。
 熱意や意欲は,そうしたことをしてくれるか(してくれそうか)という観点から,もはや,相談者の側の全人格を賭けて「人を見る目」を傾注させるしか方法はないのではないでしょうか。

■弁護士に委任することの費用対効果,弁護士費用は低廉であるにこしたことはないが…
1 弁護士費用は低廉であるに越したことはないが・・・
 弁護士費用は安いに越したことはありません。しかし,弁護士に委任しようというのは,人生の一大事です。安かろう悪かろうでは本末転倒です。1000万円の請求権があって,1000万円が回収できれば,2割の費用を要しても800万円の実益がありますが,300万円しか回収できなければ,費用が1割であるとしても270万円しか実益がないということになるという,簡単な話です。
 また,表面上低廉な費用を喧伝していても,実際にはなんだかんだと費用(実費はともかく弁護士費用でさえ)がかさむということもあり得ます。ただ,費用対効果を考えて手続の取捨選択をするというのも弁護士の仕事であり,費用対効果を考えてもらうのも弁護士に委任する大きなメリットですから,お金の問題で信頼関係が損なわれるようなことは適切な弁護士としての活動を阻害することになりかねず,依頼者のためにもなりません。
2 「相談料無料」,「完全成功報酬制」
 最近は,相談料を無料にする法律事務所も相当数存在します。弁護士に法律相談をするのに1万円程度の金額が障害になるというのも健全ではないように思いますが,ただでさえ気後れしがちな弁護士への相談に対する心理的抵抗を軽減し,弁護士への適切なアクセスを確保しようという考えや,法律相談料というものはそんなに高額のものではないから,一々請求して受領するよりは無料にしてしまった方が簡便だという判断もあるのでしょう。 
 最近では,成功報酬制を採用する法律事務所もあります。しかし,成功報酬制は依頼者にとってメリットばかりがあるものであるとは思いません。着手金が工面できないうという相談者が心から依頼をしたいという時に,着手金のみがネックになって委任ができないということは避けたいという思いはあります(弁護士は,そういう意味ではまだ「甘い」先生も多いのです。)。しかし,完全成功報酬制で良いという法律事務所の中でも,簡単なものだけそうするということであれば,弁護士と一般の人の情報の格差を利用して弁護士が不適切な費用を徴収しているとの非難も当たり得ます。
 他人である弁護士に専門的な手続を依頼する以上,本来は,しかるべき支払をして着手してもらうのが筋だと思います。そして,弁護士の着手金というものは,弁護士の活動の価値を自身の法律問題と照らし合わせて評価した場合,普通,そんなに高額になるものとは思いません。「着手金目当て」の弁護士がいるようなことを聞くことがないではないですが,通常の弁護士は,着手金のみでは法律事務所を維持していくことすらできないでしょう。

■(「弁護士の選び方」の一応の)結論
 以上のようなことを踏まえた上で,私としての結論は,やはり,相談者自らが複数の弁護士に直接会うことが最善だと思います。難しいことは分からなくても,弁護士の応答の適切さなどは何となく分かるでしょう。
 分からないことは分からないというほかありませんし,解決への見通しなども「確実なことは何も言えない」という場合がほとんどであると思いますが,それでも,その応答から,相談者が得られる「感覚」には大きな価値があるでしょう。その意味では,弁護士との「会話」は,お医者さんとの会話とは若干異なるように思われます。
 また,法律事務所へ訪問して相談をすると,その法律事務所の持つ,「空気感」のようなものも感じ取ることができるでしょう。多くの法律事務所への立ち入り調査などをしてきた経験から言えば,あまり良くない法律事務所は,弁護士だけではなく,事務職員を含め,法律事務所全体が,なんだか清廉な空気感を失っているように感じられることが多かったように思います。
 要するに,ご自身の「人を見る目」に最後は頼るしかありません。そして,その「目」をより正確なものとするためには,時間も限られているでしょうけれども,複数の法律事務所・弁護士に赴かれることをぜひ,お勧めします。
 この文章の表題を「弁護士の選び方」(弁護士の探し方ではなく)としたのは,この趣旨です。