今、関西電力大飯原発が再稼働を開始した。いったい「フクシマ」が何をもたらしたのか、きちんと理解していないのだろうか。
我々大人達がきちんと反対してこなかった結果、狭い我が国に原発がひしめき合い、とうとう昨年、想像を絶する恐ろしい事態を引き起こしてしまった。たかだか電気などというもののために、なんと多くの代え難い尊いものを失ってしまい、また、失い続けていることか。そして、今、さらにより多くを失おうとしているのを止める力を、私は何も持たない。
子供たちにわびる言葉が見つかりません。許されるとも、思いません。
せめて表明しておきたい。私は、「反対」であることを。そして、「フクシマ」以前にきちんとその意思を示してこなかったことを恥じていることを。今なお恥ずかしさを感じない人たちがあることに驚き、そのあまりの感受性の違いに、恐ろしさをすら感じていることを。
私は、原子力の商業利用を「止めない」という人を(「仕方がない」という人を含めて)、強烈に嫌悪し、軽蔑します。原子力の商業利用を助長する方向で関わっているいかなる企業も、そこで働く人々も。原発が是か非かなど問題ではない。現に「フクシマ」がある以上、原子力の商業利用に「NO」をいう人があれば、共同社会を構成する他の構成員はそれを尊重する以外の選択肢など与えられていない。「フクシマ」は、我慢をしてくれ、と言える類の事象では絶対にない。それを言う人は、もはや親しむべき隣人ではない。消費税の増税などとは、問題の質がそもそも異なる。
私の仕事によって例えば金銭的被害回復をした人があったとして、それで飯を食って原子力の商業利用を継続しに行くというのであれば、私は、その人のために仕事をしたくはない。あえて言えば、詐欺業者が違法な利得を保持している方が、まだましであるとさえ思えるのだ(もちろん、以上は私の個人的見解です。)。