私は,原子力発電には,明確に反対の意思を表示します。
私の世代は,一部の人を除いて,原子力の商業利用に無関心でありすぎました。私も,どちらかといえば反対だけれども,特に反対の意思を示すこともなかった。それが,今日の災禍を招き,終わりの見えないものとする元凶となったことに,私は強い後悔を感じています。原発をなくす方向で行為し続けることは,子供達に対する(原子力の大々的な商業利用を許容してしまった)我々大人全員の責任であると思っています。
原子力は魅惑的な科学技術であり,それを放棄することは人類にはできようはずがないものでしょう。科学技術は,後退を許さないものでもあるでしょう。しかし,その商業利用が拙速に過ぎたことは,現在においては,否定しようもありません。それをいまさらではあるけれども是正することは,(近代文明の中核にある科学技術にとっても)後退ではなく,前進だと思います。
福島の事故によって教訓を得たのだ(だから新たな基準を作ったし,それで大丈夫なのだ)という人もあります。しかし,事故は未だ収束していません。事故をきちんと収束させてもいないのに十分な教訓が得られたと考えるのは軽率にすぎます。そして,福島事故から教訓を得たとすれば,それは,「想定外」の事態は起こる,ということです。ちょっと想像してみるだけでも,原発が正常な運転・管理状況に置かれなくなりうる事態など,いくらでも挙げることができるでしょう。地震の多い我が国では地震リスクがクローズアップされることが多いですが,それに尽きるものではありません。
原発は,壊れます。現に壊れました。修復のめどが未だに立たない程度に。少なくとも形あるものは,神様が作ったものでさえ壊れるのです。人間が作ったものが壊れないと考える方がどうかしています。原発は,最新技術の結晶のような繊細で複雑な構造を有する建造物ですから,なおさらです。しかも,原発は,悪意を持った人によって意図的に壊すこともできます。福島事故はまだ復旧作業のために原発に近寄ることができましたが,悪意を持った人はそれを妨害することもできます。
電力と経済の話をする人もいます。しかし,経済のために,お金のために国土を荒廃させ,国民を分断することなど,本末転倒です。そして,あの過酷事故を経てなお,原子力発電が経済的であるとは私には思えません。豊かな国土なくして経済の維持発展などありえません。
経済との関係で,原発は許された危険である,という人もあります。経済の発展のためには,甘受しなければならないリスクなのだと。飛行機と同じようなものなのだと。全然違います。飛行機なら乗りたくなければ乗らなければ良いし,飛行機事故と原発事故はその及ぼす影響に格段の違いがあります。ある人がいやだと言っても,国民全体のためにはやらなければならないこともあるでしょう。しかし,それは,耐えてもらっても仕方のない程度の不利益である場合にのみ許されることです。隣人に「受忍限度」を超える不利益を与えることは,誰にも許されてはいないのです。原発を是とする人は,それはそれで結構ですが,我々の隣人として生きるのであれば,否という人の言うことを聞いてもらわなければなりません。
ということで,原発を明らかに推進する東京電力とできる限り距離を置きたいと思い,同社との直接の契約関係を絶ち,他の売電業者と契約することにした次第です。みなさまも,お考え下さい。