まず,えらそうな順に。
日経マネー5月号(3月21日発行)の「リーダーからの金言」というコーナーに登場します。今年に入ってから取り上げられているのは,立花陽三氏(楽天野球団社長),童門冬二氏(作家),堀江貴文氏(事業家),三田紀房氏(漫画家)。その次ですから,えらそうなことこの上ないですね。すみません。不招請勧誘の問題に言及して良いとのことでしたので,お受けした次第です。
現代消費者法22号(3月15日発行)には,特集「詐欺的悪質商法業者の探知と被害回復」の中の被害回復の手法と課題というところに,「悪質詐欺商法の関係者に対する責任追及」という署名記事を書きました。同欄の他の執筆者は,石川真司弁護士,滝澤孝臣元判事,上田孝治弁護士,曽和俊文教授であり,そうそうたる執筆陣に加えていただいて,光栄です。
今週金曜日にはテレビ東京のニュースでコメントする予定で,昨日撮影を終えました。テレビ制作会社を名乗って詐欺被害の回復ができると持ちかける手口があるようですね。まったく,けしからんことです。
さて,私はドラマが好きで,特に泣けるドラマが好きな傾向にあり,現・前クールには複数のそれがあり,泣き暮れる日々でした。
明日,ママがいない。いろいろと問題が提起されましたね。野島伸司という人は,焦点を当てた人を,時に孤独にすることはあっても,普通に生きている人のある種の羨望の対象に高める。そうした,魅力のある人に描く。いつもそうですね。私も,今回も登場人物達の個性と強さとそのいとおしさに,むせび泣くことしきりでした。最終回の(施設長の)せりふ、こどもを壊すくらいなら,大人が壊れろ!。これが一番心に残りました。
ドラマの設定からすれば,言葉どおりの意味でしょうが,私は二つのメッセージを感じました。こどもを壊すくらいなら,大人が壊れろ。広く言えば,弱い者を壊すくらいなら,壊れるに任せておくくらいなら,強い者がまず壊れろ,という,無自覚であった大人(強い者)に対する壮絶な決意を強いるメッセージ。
他方。こどもを壊すくらいなら,大人が壊れろ。言い換えれば、大人(強い者、弱い者より相対的に強い者)は,こども(弱い者)を壊さないように自分が壊れるくらいにしていれば,それでいいんだという,大人(強い者)に対する,やさしさのこもったメッセージ。壊れそうな弱い者を目前にしたときにどうして良いか分からずに右往左往する大人(強い者)にも救いの拠り所を与えてくれるメッセージ。
相容れないように思えるメッセージは,こどもと大人が共に暮らす世界において,双方を救うメッセージであるのだと,勝手に解釈した次第です。
ひるがえって,我々専門職は,相対的には「強い者」です。「弱い者」が壊れそうになっている時には,そうか,こちらが壊れるくらいにすればいいのだ,そうだ,それで良いのだと。私は,心身の疲労や時に強く感じて苛まれる徒労感,無力感,挫折感などを,受け止めるべきなのだ,それが,専門職たる者の務めであり,そうすることが,いわば、救いでさえあるのだと。そういう,気の惹き締まる勇気を得たところです。
ところで,このドラマの主題歌,コトリンゴの「誰か私を」。「かわいいよね,かわいいよね,本当にね。信じられたら素敵だけど。いけないよね,いけないよね,壊れちゃう・・・でも誰か私のずっとそばにいてくれませんか」いや,野島伸司作詞。泣けますわ。そうすると,感涙モード(これは音楽的動機の大きな源泉でしょう)でギターの練習をしたくなるんですが,残念ながらソロギターのアレンジは発表されていない模様。岡崎倫典(ソロギターアーティストの孤高の存在,少なくとも私にとっては)師匠のアレンジが突然発表されるなんてこと,ないですよね・・・
それでは,とりとめがありませんが・・